連載 書店の街はどこへ行くのか ~早稲田と本、変わる距離 第1回 ...

 学生は本を読まなくなったのだろうか。本を読むことは学生にとって必要な行為ではなくなったのだろうか。かつて早稲田の街には新刊書店や古書店が並び、「本の街」と呼ばれてきた。学生は通りを歩きながら本屋に立ち寄り、棚を眺める中で一冊の本と出会った。今、書店の閉店が相次ぎ、学生の読書行動や本の手に入れ方も大きく変わった。学生と本の関係、そして本を取り巻いてきた早稲田の文化は、いまどこへ向かうのか。その現在地を追う。 文禄堂早稲田店、閉店――「本の街」の現在地  2024年9月16日、新刊書店「文禄堂早稲田店」が静かに閉店した。 この書店は早稲田大学早稲田キャンパスの最寄り駅である早稲田駅から徒歩2分、早稲田通り沿いにあった。学生にとって最も身近で、授業の前後に立ち寄ることのできる場所だっただけに、その知らせは街に小さくない衝撃を与えた。閉店を告げる貼り紙が掲示された日、足を止めて写真を撮る学生や、友人同士で閉店を話題にする姿が見られた。  文学部3年の宮沢希美さん(21)は、その貼り紙を見て言葉を失ったという。  「週に1度くらいは、特に目的がなくても立ち寄っていました。新刊を眺めるだけでも楽しかったし、暇つぶしにも使える場所でした。だから閉店と聞いたときは本当にショックで」と振り返る。宮沢さんにとって文禄堂は、本を買う場所というだけでなく、生活動線の中に自然と存在していた「寄り道」の場でもあった。  一方で、異なる受け止め方もあった。社会科学部2年の西本俊助さん(20)は「文禄堂が閉まったと聞いた時、『あ、つぶれたんだ』くらいの印象でした。本屋には行かないので……。スマホで調べればほとんどのことは分かるし、本を買おうという気持ちにならないんです」と語る。西本さんは、普段から講義にきちんと出席し、課題も真摯に取り組む。スマートフォンが日常に溶け込む現代、それを活用して信頼できる資料や文献にアクセスする西本さんの反応こそ普通の学生の反応でもあろう。  このように文禄堂閉店の受け止めは、同じ大学に通う学生の間でも対照的だった。宮沢さんの「喪失感」と西本さんの「無関心」。その差は、現在の早稲田大学で学生と本との距離が二極化している現実を象徴している。  文禄堂の閉店は、早稲田がかつて持っていた「本屋が自然と視界に入る街」から、「本屋を探さないと見つからない街」へ移行したことも示している。学生生活の中にあった寄り道の場所が消えたことは、本屋に親しむ学生にとっては大きな喪失を示す一方で、「そもそも本屋に行かない」学生にとっては大きな意味を持たなかった。  この対照的な反応は、学生と本との距離がいま大きく開いていることを示す。同時に、それでも閉店がここまで街の話題になったことは、早稲田の日常にとって本屋が特別な存在であった過去を強く思い起こさせる出来事でもあった。 書店が視界にあった街――1985年・早稲田  文禄堂閉店をめぐる学生たちの対照的な受け止め――「喪失感」と「無関心」。その背景には、早稲田がかつて「本屋が自然と視界に入る街」だったという歴史がある。現在の喪失を理解するためには、まず早稲田がどれほど書店の密度に満ちた街であったかを振り返る必要がある。  1985年(昭和60年)の電話帳には、早稲田周辺に新刊・古書店含む書店40軒が記録されている。西早稲田18軒、高田馬場14軒、早稲田鶴巻町4軒、戸山3軒、早稲田1軒。キャンパスを出れば数分歩くごとに本屋が目に入り、学生の生活動線の至るところに書店が存在していたことがわかる。西早稲田の18軒は、高田馬場から早稲田大学まで続く早稲田通りの沿う地域で、古書店も多かったと考えられる。高田馬場の14軒は駅前の商業エリアに集中し、文庫・新書・雑誌など幅広い需要に応えていた。大隈講堂裏手で住宅街に隣接する早稲田鶴巻町の4軒は、地域住民と学生が混ざり合う生活圏の書店として機能していた。  1986年に政治経済学部へ入学した川野典夫さん(59)は、当時をこう振り返る。   「大学の周りも適当に歩くだけで書店はいっぱい目に入りましたよ。西早稲田とか鶴巻とか馬場のそれぞれに書店の色があってね。私の頃は情報といえばまず本の時代でしたからどこも客は多かったですよ」。  川野さんの証言は、1985年の数字と見事に一致する。書店が多いだけでなく、西早稲田・馬場・鶴巻の三方向にまんべんなく分布していたことで、学生は授業の前後や移動中に自然と書店へ足が向いた。書店を巡る行為は、何か特別なことではなく、生活の延長線上にあった。本の匂い、棚の雰囲気、店ごとに異なる選書――それらは街全体の空気をつくり、早稲田を「本の街」として形づくっていた。1985年当時の早稲田は、「歩けばどこかしらに必ず本屋がある街」として文化的厚みを持っていた時代だったのである。  現在の「本屋を探さないと見つからない街」との落差は、この時代の豊かさを知る人々にとって、文禄堂閉店の衝撃が一段と大きかった理由でもある。 「本の街」の最盛期――1992年、63軒の風景  1985年から数年。早稲田の書店街は、その後さらに厚みを増していく。電話帳の記録が最も豊かさを示すのは1992年(平成4年)である。この年、早稲田周辺には、新刊書店 32軒、古書店 31軒の合計 63軒 が存在していた。  単に店舗数が多いだけではない。新刊と古書がほぼ同数で並び立つという際立った特徴が、早稲田が「本の街」として成熟のピークを迎えていたことを物語っている。特に現在にも続く早稲田通り沿いの古書店街は、分野ごとに個性を持ち、学生が目的を決めずに歩くだけで本と出会える環境をつくっていた。新刊書店では授業用の教科書や最新刊を扱い、古書店では絶版本・専門書・雑誌のバックナンバーなど、現在では入手困難な資料まで幅広く出会うことができた。こうした街の厚みを、当時を知る人の証言はより生々しく示す。  川野さんはこのようにも語った。「早稲田通りには今よりも古本屋が本当に多かったんですよ。何十軒もあって、各書店に違う匂いがあって、扱っている本のジャンルも全然違う。棚を眺めるだけで面白かったし。雑誌とか新書とか探すときは新刊書店に行って、なにか調べたいことがあるときは、ジャンルごとの古本屋に行って。今振り返ってみると本を探す楽しみが街中にありました」  新刊書店と古書店が互いの強みを競い合い、学生が街全体を知の迷路として歩ける環境が存在していたのだ。店内をのぞけばたくさんの新たな出会いがあり、通りを歩けば次の店へ導かれる。学生が書店をはしごする行為は日常であり、回遊しながら興味が広がっていく街の構造があったのだ。  1992年の「63軒」という数字の意味は、単なる量ではない。それは、①分野の異なる学生が、それぞれの目的で同じ街の古書店を利用できた②新刊と古書が共存し、知の新旧が街の中で交差していたという2点から、文化の多層性を示している。早稲田が「本の街」として最も厚みを持っていた時代である。 数字が示す転換点――2002年・2012年  1990年代に最盛期を迎えた早稲田の書店街は、2000年代に入ると静かに変化し始める。電話帳によれば、2002年(平成14年)には新刊書店が24軒に減少している。1992年の32軒からわずか10年で3割近くが姿を消したことになる。さらに10年後の2012年(平成24年)には11軒となり、1985年の38軒と比べておよそ70%減った。  この数字を、実際に当時の早稲田で学生生活を送っていた人物の証言が裏付ける。1998年に社会科学部へ入学した今村浩介さん(46・会社員)は、当時をこう語る。  「毎年毎年新刊書店は減っていったのを覚えています。個人系のお店がなくなって綺麗なマンションやビルに変わっていきました。気づいたら飲食店ばかりになっていて、なんだかどこにでもある都会になった感じでした」。  今村さんの言葉は、数字で示される減少が単なる店舗の問題ではなく、街の質感そのものの変化として体感されていたことを示す。新刊書店24軒(2002年)から11軒(2012年)という減少は、突然起きたのでなく、生活導線の変化や学生の行動様式の変化、街の構造変化など、複数の要素が組み合わさりながら進行した結果だった。電話帳の数字は冷静だが、その背後には、早稲田で生活する人々の「街の空気が変わっていく」実感が確かに存在していた。特に2012年という年は、数字上も象徴的だ。かつて38軒あった新刊書店が11軒にまで減り、「歩けば必ず本屋が見つかる街」から、「意識して探さないと書店に出会えない街」へと変わったことを示している。  古書店は2002年に31軒、2012年には26軒と、新刊書店と比べて緩やかだが、古書店街の厚みは縮小している。かつて通りを埋め尽くしていた古書店は、綺麗なビルの谷間を埋めるように変化した。今村さんの証言、そして連続する数字の変化は、早稲田の書店街が新しい時代へと向かう過程にあったことを、静かに物語っている。 「本の匂い」が消えた通り――街の記憶としての書店  早稲田鶴巻町で生まれ育った堀田輝彦さん(51・会社員)にとって、書店は街の空気を形づくる存在だった。電話帳の数字が減少傾向を示す2000年代以降、堀田さんは日常の景色が少しずつ変わっていくのを肌で感じていたという。  堀田さんは、かつての早稲田通りをこう語る。「昔は早稲田通りを歩くだけで、本の匂いが漂ってきたんですよ。店先に古本がぎっしり並んでいて、学生が立ち読みしているのが当たり前の光景でした」この証言は、川野さんや今村さんの記憶と重なる。古本の紙の匂い、木箱に並ぶ文庫、表紙焼けした専門書。これらは店舗という単位を超え、街全体の文化的な質感をつくっていた。しかし、書店が減っていく中で、その風景は徐々に失われていく。  堀田さんは現在の街並みを振り返り、こう語る。  「今は飲食店やカフェが増えて便利になったけれど、どこにでもある街になってしまった気がするんです。昔の早稲田には本屋が生む独特の空気があった。それが薄くなってしまった感じがあります」。堀田さんが感じる「薄さ」は、単なるノスタルジーではない。電話帳のデータが示すように、新刊・古書含め書店が減少していくにつれ、書店街は、物理的にも文化的にも存在感を失っていった。街の空気を形作る書店の減少は、単なる書店の減少にとどまらない。まちの記憶や文脈が断たれていくという側面がある。この堀田さんの証言には、書店が担っていた役割への深い実感が宿っている。早稲田の街は書店が生んだ文化の厚みを持っていた。しかしその厚みは、書店とともに少しずつ失われていった。堀田さんは最後にこう語った。  「今は学生さんが本屋に入る姿をほとんど見ない。それだけで街の空気が変わったと感じます」。堀田さんの証言は、数字では捉えきれない早稲田の変容を示す重要な証言である。 (第2回「老舗古書店」近日公開)  かつて、古書店街として知られると同時に、新刊書店も賑わっていた早稲田の街から、書店が姿を消しています。学生の気質が変わったのか、社会の情報環境が変わったのか、そしてこれから街はどうなるのか。人々の声と現場の取材をもとに、変化の背景を探っていきます。(本連載は松本倖河記者の卒業論文をもとにしています)

新歓ビラ散乱、環境サークル奔走

 「地獄絵図だ」「せっかくの初日なのに」。そう呟く新入生たちが行き交った、昨年の4月初め。サークル活動が盛んに行われる早稲田大学の構内で、新歓活動の一環で例年通りビラ配りが行われたが、地面には多くのビラが落ち、折からの雨でドロドロに崩れて路面を覆っていた。そんな状態に対して解決のアプローチを試みる学生たちがいた。

「無理な飲酒」なくしたい

 大学生になると、歓迎会やサークルの集まりなどで酒が出される機会も徐々に増えていく。一方で、未成年者の飲酒や、先輩後輩の関係の中で断りにくい雰囲気が生まれること、酔った上でのトラブルなど、大学生活における飲酒をめぐる問題も指摘されてきた。こうした状況の中で、飲めない人や飲みたくない人が無理に酒を飲まされることのない環境づくりを目指し、ビールメーカーや大学などの関係者が連携した取り組みを進めている。

高齢者に「生きがい」と「居場所」を

「楽しそうな感じになって明るくなった人はやっぱりいますね」。群馬県の高崎市シルバー人材センター事務局長補佐、須藤利明さんは、センターを利用する会員たちを振り返りながら話す。シルバー人材センターは、健康で働く意欲のある満60歳以上の高齢者に「働く場」を提供している組織。少子高齢化のなか、退職後も社会と関わり続けたいと考える高齢者に、人とのつながりや居場所も提供している。

身近に広がるセルフレジ

早稲田大学早稲田キャンパスの昼休み。教室から次々と学生があふれ、14号館の生協パンショップ前にも長蛇の列ができる。そんな中、利用者を増やしているのが「セルフレジ」だ。今では1日の利用者約1700人のうち、4分の1がセルフレジを利用しているという。

「その子らしさ」伸ばす支援 未然予防目指す支援も

 少子化にもかかわらず、全国の不登校児童数は増加を続け、2023年度には過去最多の34万6482人となり前年度から15.9%も増加した(文科省調べ)。教師だけでは子どもたちの健康状態の保持や正確な体調管理に限界があるのが現状だ。元小学校教諭の廣瀬貴樹さんは支援団体である「かけはし」で不登校の子どもたちを支援する。一方、子どもの発達科学研究所では、科学的アプローチを通して不登校の課題に取り組み、不登校児童の根本的な削減に取り組む。

「殺処分ゼロ」 命を繋ぐ保護犬センター

人と動物の共生を目指す東京都の機関、動物愛護相談センターの栗田潔さんは「飼う時の覚悟が非常に大事だと思っています」と話す。東京都は2019年度から現在まで「殺処分ゼロ」を継続する。病気を持つ保護動物の苦痛からの解放など、動物の精神的・肉体的幸福の観点からやむを得ず処分する「致死処分」か保護後の自然死の2つの理由以外に処分することを「殺処分」と政府は定義する。この殺処分「ゼロ」という数字の裏には、動物愛護相談センターをはじめとする様々な保護施設の活動がある。

紺碧タイムズとは

紺碧タイムズは、早稲田大学教育学部社会科公共市民学専修のジャーナリズムゼミで学ぶ学生のウェブメディアです。
主に社会問題につながるテーマを学生記者として取材し、大学、地域、そして社会全体に向け報道しています。
紺碧は深みのある青色です。早大関係者にとっては応援歌「紺碧の空」に歌われる大切な言葉となっています。
紺碧タイムズの編集責任者はジャーナリズムゼミ担当教員の澤康臣(早稲田大学教育・総合科学学術院教授、元共同通信編集委員)です。
お問い合わせ: info@kompeki.jp

 

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