経済は回復基調にあるこの日本で、人々の中には日々の安寧の場所である「家」を持たない人が存在する。世間的にはそのような人々はホームレスという名称で呼ばれている。中年以降の男性のイメージが強いホームレスだが実際には若者や外国籍の人など様々な人が存在する。この多様化するホームレスに併せて支援の方法もまた変わってきているという。
狭い意味で知られるホームレス
日本だとホームレスと聞いて駅や路上でゴロ寝している人や、段ボールハウスに住んでいる人のことが想像されやすい一方、国際的にはより広範な意味でホームレスが捉えられている。国際的な定義で言うとここが自分の住まいだと権利を主張できる場所がない人のことをホームレスとして定義している。つまり、駅や公園で寝泊まりしている人以外にもインターネットカフェで生活している人や、友達の家に居候しているような人も含まれる。
ホームレスが最も多かった時代は、2003年まで遡る。現在はそこから減少傾向にある。90年代半ばにバブルが崩壊し失業や倒産によって路上での生活を余儀なくされる人が急増していた。

そこで日本では2002年にホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(平成14年法律第105号)等が成立施行され、これ基づき全国のホームレスの実態に関する全国調査が始まった。2003年が最も多かった理由としては、この調査が始まってから支援等が拡充されてきたという背景が挙げられる。
狭い意味でのホームレス概念を用いた支援が行われてきた。このホームレスの数というのは国が年に2回概数調査を行っており、厚生労働省によると2003年の全国で2万5千人というのがピークである。厚生労働省の概数調査によると現在のホームレス数は合計2,820人となっておりピーク時より約10分の1に減少している。
グローバル化 難民ホームレス増加
ホームレスの最近の変容としては外国人が増加していると、ホームレスや住宅確保が困難な人に向けて、安定した住居の提供と社会復帰の支援を行なっている一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事で認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表である稲葉剛さんは指摘している。稲葉さんによると、最近の増加の要因としては、コロナ禍に制限されていた海外との行き来が緩和され、国内の武力紛争で故郷を追われたアフリカ系の難民が多くなっていることが挙げられる。

そういった難民の公的な支援としては難民事業本部(Refugee Assistance Headquarters)と呼ばれる外務省の外郭団体が存在し、難民申請の支援などを行なっているが、その支援内容は脆弱であり日本に来る難民に行き渡っていないのが現状だと稲葉さんは訴える。難民申請は申請してからその申請が受理されるまで時間を要するため、難民認定を受けるまでの期間、何の支援も受けられないままホームレスへ転落していってしまう人々が多くいる。その空いた期間の支援が今必要とされているのだという。稲葉さんをはじめとしたつくろい東京ファンドではこういった外国人にも支援も行なっている。
路上生活者を「住居ファースト」で支援
サポート体制もホームレスの多様化に合わせて変化している。稲葉さんによると、元々炊き出しや物資の支援が主でその日の支援がメインであった。しかし、長期的な支援でホームレスからの脱却を支援するように変化してきた。その日の食料がなくて困窮している人もいるので炊き出しも重要な支援の一つだが、中長期で見て路上からの脱却には炊き出しだけではなく、家があるかないかというところは重要な要素だと稲葉さんは訴える。そもそも家つまり住所がないと、生活保護の申請自体ができないのだという。

稲葉さんはこの根本的な問題の解決のために、ハウジングファーストという試みをおこなっている。元々ホームレスのために住居を提供する支援は行政が主導して行なってきた。しかし東京都内で生活保護を申請して個室を希望しても、紹介できる物件が東京から離れた山奥にしかなく、そこに居住すると交通の便も悪く仕事探しが難しくなる伝えることで入居を諦めさせるというようなケースもあった。
稲葉さんが行なっているこの取り組みでは、家の提供などに加えて行政などへの対応も含め、継続的な支援が行われている。ハウジングファーストの具体的な施策としては、相部屋などではなくプライベートの保たれた居住空間を貸し与えるというものだ。プライベートの保たれた居住空間というのは、アパートなどの一人暮らしのための物件のことで、そのような物件を借りてここに住んでもらうのだ。
稲葉さんはホームレスの変化に合わせてその支援の方法も変化させている。今後もホームレスになってしまう原因や困窮の理由なども含め、新しい形の問題が生まれてくる可能性もあるだけに、変化に対応した支援をしていく構えだ。