本や書店への距離感
これまでの電話帳調査、また安藤書店や生協ブックセンターへの取材を通して、早稲田書店街を取り巻く文化や書店の思い、そして直面する動線の変化を追った。ただし、こうした環境変化だけでは、学生が本をどう捉え、どのように選んでいるのかまでは見えてこない。「本との距離感」が、実際に学生の読書行動にどのような影響を及ぼしているのか、また学生の読書行動の変化は、書店にどのような影響を及ぼしているのか。こうした学生の本に対する感覚の違いや温度差は、書店側の視点だけでは捉えきれない部分でもある。そこで次に、実際に早稲田の学生に取材した内容をもとに、彼らが本とどう向き合っているのかを詳しく見ていく。書店街が縮小し、生協の役割が限定されるなか、学生の立場に沿って「本との距離」を探ることで、早稲田における書店文化の変容がより立体的に浮かび上がるはずだ。
書店に親しむ学生の姿
連載第1回冒頭で紹介した文学部3年の宮沢希美さん(21)は、早稲田の学生の中でも珍しく、日常的に書店へ通う習慣を持つタイプだ。取材の中で宮沢さんは、子どもの頃から紙の本に親しんできたこと、そして大学に入ってからもその習慣が続いていることを語った。そして現在でも、新刊を眺めることや棚を回遊する時間は、彼女にとって自然で心地よい行動だと言う。
宮沢さんが週1回ほど通っていた文禄堂早稲田店の閉店は、強い衝撃を残した。
「文禄堂が閉店したときは本当に驚きました。地元津田沼でも書店の閉店が多くて寂しく感じていたので、早稲田でも同じことが起きてショックでした」。
彼女のこの言葉は、文禄堂に対する愛着だけでなく、「本屋が街にあること」を当然と見なしていた日常が揺らいだことを示している。普段から宮沢さんは新宿や池袋の大型書店にも足を運ぶ。大型書店に行けば本は揃うが、それでも早稲田という学生街に書店があることには特別な意味があると感じているという。
「大学の周りから本屋が減って、街としての魅力が薄れてしまった気がします」。
柔らかい口調の中に、「街と本屋の関係が変わってしまった」という悔しさや悲しさが滲む。
また宮沢さんは、「偶然の出会い」の価値を繰り返し語った。目的の本がなくても棚を見て回るうちに、気になる本が目に入る。その偶然性が、自分の興味を広げてきたという。街の書店が減ることで、その偶然の機会が奪われることを宮沢さんは寂しさとして受け止めていた。
私が取材できた学生の中でも、宮沢さんのように「本屋に行く習慣を持っている学生」は少数派だ。他の学生が「必要な本しか買わない」「スマホで十分」「紙より動画」といった価値観を語る中で、宮沢さんは異質な存在にも映る。しかし、こうした趣向を持つ彼女の存在は重要である。なぜなら、街の書店が担ってきた「偶然の出会い」「文化の厚み」「街としての魅力」は、宮沢さんのような学生の体験によって支えられてきたからだ。
街から書店が姿を消すことで、「本と出会う場」が日常の中から抜け落ちていく。その変化を、宮沢さんは最も敏感に感じ取っている。
「本屋に行く理由が見つからない」
社会科学部2年の西本俊助さん(20)は、宮沢希美さんとは対照的に、「本屋に行く必然性を感じない」学生を代表する存在だ。幼い頃から本を読むことは習慣とはいえず、大学に入ってもその価値観は変わっていないという。文禄堂早稲田店の閉店について尋ねても、西本さんはこう淡々と語った。
「文禄堂が閉まったと聞いた時、『あ、つぶれたんだ』くらいの印象でした。本屋には行かないので……」
そこには、閉店を「街の変化」として捉える感覚も、寂しさといった感情もほとんどない。西本さんの言葉には、本そのものよりも「情報をどう得るか」という点が重視されている価値観が表れている。
西本さんは、知りたいことをスマートフォンをはじめデジタルツールを駆使して調査し、資料や文献、データを発見し、それらを読み込んで学んでいる。「本を買おうという気持ちにはならないんです」
この言葉は、現在の学生文化の大きな潮流を象徴している。情報を得る手段として、動画・SNS・検索結果などが日常に浸透し、「本を読む」という行為に特別な意味を持たせなくなっている。
しかし興味深いのは、西本さんが本を否定しているわけではない点だ。
「必要なら買います。でも必要になったことがあまりないだけです」
つまり、本が不要なのではなく、日常生活の中で本が必要な場面がかつての時代ほど訪れないという構造がある。西本さんは学問に熱がない学生などでは全くない。普段の授業には熱心に臨み、将来を考え教員免許の取得にも励んでいる。西本さんの普段の学びの中で、なかなか本が出る幕がないというだけなのだ。取材した学生を振り返っても、西本さんと同じ方向性を持つ学生は少なくない。
本離れという言葉だけでは捉えきれないが、メディア環境が変わり、情報を得るための選択肢が大きく多様化し、少なくとも「街の書店に足を運ぶ行為」は学生生活の中心から外れつつある。西本さんの存在は、その変化の最前線にいる学生の姿を端的に示している。
「本屋に行く理由が見つからない」――この感覚は、街の書店文化にとって大きな意味を持つ。学生の「本との距離」が広がるなか、街の書店は、以前のようには学生の生活の中に入っていけなくなっているのだ。
動画文化と「文章が頭に入りにくい」感覚
教育学部4年の溝口浩太さん(22)は、「紙の本は読むが、文章が以前より頭に入りにくくなった」と語る学生である。この言葉は、読書習慣そのものを手放したわけではないものの、読むことへの負荷が増している学生の姿をよく表している。溝口さんが語ったのは、生活の中に占める動画の存在感の大きさだった。
「TikTokやYouTubeを見る時間が増えたことが影響しているのかもしれません」。
短い動画を大量に消費する生活が続くと、長い文章を読み進める集中力が続きにくくなる。その実感を、溝口さんは率直に口にした。
とはいえ、溝口さんは本を読まないわけではない。専攻するのは日本近代文学であり、授業で使う教科書やレポート作成に必要な本は多い。必要がある本を入手し必要な範囲を読み進めている。
ただし、学問以外の本を読む時間を増やすことや、新しい本と出会う行為にはつながっていない。「読む必要があるから読む」という行動にとどまり、読書に負荷を感じる中で「新たな本を探す」という次のステップへは進みにくいのだ。溝口さんのように「読む意欲そのものに負荷を感じる学生」は、取材の中でも多く耳にした。現代では割と聞かれるように感じる。つまり、特別な感覚などではなく、ありふれた感覚なのだ。
この「文章が頭に入りにくい」という実感は、早稲田生協ブックセンターの松葉さんが語った、「参考書や教養書が売れない」という現場の変化とも響き合う。授業外の読書が進まない背景には、溝口さんのように「集中して読み続けることがしんどい」という学生側の実感が確実に関係している。
溝口さんの語りは、本そのものを拒否しているのではない。読書を続ける持久力がとりわけ強く意識される現代の情報環境と、学生の生活リズムの変化を反映している。文章を読む行為のハードルが上がる中で、街の書店で偶然の出会いを得るという文化が消えつつある構造が浮かび上がる。
連載 書店の街はどこへ行くのか~早稲田と本、変わる距離
第1回 書店の街はどこへ行ったのか
第2回 老舗古書店
第3回 大学の書籍基地
第4回 早大生と本(前編) その心に書店は
第5回 早大生と本(後編) 5つの距離感
第6回 VR古書店(前編) 文化推進学生アドバイザー
第7回 VR古書店(後編) 次代に何を残すのか
最終回 書店文化は終わらない
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