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連載 書店の街はどこへ行くのか ~早稲田と本、変わる距離
第5回
早大生と本(後編)
五つの距離感

紙の本を選ぶ学生の書店離れ

 基幹理工学部2年の立木史堂さん(21)は、紙の本に対して抵抗がないタイプの学生である。特に学習に関しては、「紙の参考書のほうが頭に入りやすい」と明確に語った。デジタル教材よりも、紙の質感や書き込みのしやすさを重視しており、学習効率という観点では紙の本に大きな価値を感じている。

 しかし、その一方で立木さんは、本屋に行く機会があまりないという現実も率直に述べた。

 「読みたい本があっても、時間が取れなくて……。授業や課題が多く、本屋に行く余裕がなかなかないんです」

 理系学部では実験・レポート・課題が重なり、平日は特に時間が限られている。たとえ本に対する抵抗がなくても、「本屋へ行く」という行動自体が後回しになってしまうのだ。

 立木さんが本を買うタイミングは、ほとんどが必要な参考書に限られる。授業で使う教科書や、勉強に必要な参考書は紙で買うが、それ以外の読書はほとんど行っていないという。

生協書籍部
早大生協ブックセンターの教科書販売ブース(2025年10月23日14時37分、東京都新宿区西早稲田の生協ブックセンター)松本倖河撮影

 この行動パターンも、松葉さんが語った、「教科書は売れるが、参考書の売り上げは減っている」という書店側の声とも重なる。立木さんの「紙のほうが頭に入る」という感覚は、紙の本そのものへの信頼を示しているが、それは「読書量の多さ」や「書店通いの習慣」とは結びついていない。つまり、「紙を選ぶ理由がある学生」ですら、街の書店と強い関係を結んでいるわけではないということだ。

 彼の存在は、「本を読む/読まない」という単純な二項対立ではなく、「読む意欲はあるが時間が足りない」「必要な本以外は買わない」という現在の学生文化の複雑さを示している。この立木さんの証言は、早稲田の書店が学生の日常から遠ざかっているもう一つの理由――時間の不足と目的買いの徹底――を浮き彫りにしている。

 紙と電子を「目的で使い分ける」

 人間科学部1年の牧原那智さん(20)は、紙と電子のどちらか一方に強くこだわるのではなく、用途に応じて使い分けるタイプの学生だ。取材で、牧原さんは「英語や就活など、必要なものは紙で買います。でも漫画は電子で読むこともあります」と語った。

 この使い分けは、紙の本への抵抗がないだけでなく、紙と電子双方の利点を実感しているからこそ成立している。

  紙の本について牧原さんは、勉強用途では「紙のほうが覚えやすい」「書き込みがしやすい」と語った。一方で、漫画や軽い読み物については、スマホで読める手軽さが勝るという。

 興味深いのは、牧原さんが本そのものに対して肯定的であるにもかかわらず、本屋へ行く頻度はそれほど高くない点だ。必要な本は紙で買うが、本屋に足を運ぶよりオンラインで済ませることも多いという。特に漫画は電子で完結してしまうため、紙の本を買う理由が、勉強の参考書というように、用途によって自然と分岐している。

 牧原さんは、「紙も電子も使うが、本屋に通う習慣は弱い」というタイプである。

 こうした価値観は、松葉さんの証言とも再び重なる。松葉さんが語った「店で買うよりオンラインを選ぶ学生が増えている」という傾向は、牧原さんの行動にもはっきりと現れている。

 牧原さんにとって本屋は「必要な時には行く場所」であり、日常の行き先としては優先されにくい。その一方で、紙の本をしっかり使いこなし、電子との併用もできる柔軟性は、現代の読書環境を象徴している。

 紙か電子か――という対立構造では捉えられない、「目的で使い分ける世代」が、早稲田の学生にも生まれている。街の書店は、こうした学生にとって必須の場所ではなく、いくつかある選択肢の一つへと位置づけが変わったのではないか。

 牧原さんの証言は、本への関心が薄れたわけではなく、本との付き合い方が多様化したことを示す象徴的なケースだ。

見えてきた学生の読書タイプと共通点

  早稲田卒業生や地元の人などかつての「本の街」である早稲田に慣れ親しみ、こうした早稲田の街の姿にノスタルジーを覚える世代とは対照的に、これら5人の学生が証言する本との距離感はまるで多様だ。単に「本を読む/読まない」という二項ではなく、生活習慣・情報の取り方・学部の特性などが複雑に絡み合った姿である。

 まず、「本屋に親しむ学生」を代表するのが宮沢さんだ。宮沢さんは文禄堂に通い、地元や大型書店にも足を運んでいる数少ないタイプであり、「街としての魅力が薄れる」という感覚を最も強く語った。早稲田の街の書店の減少を生活の変化として捉えている。

早稲田大学早稲田キャンパス(2024年8月21日午後5時20分)澤康臣撮影

 対照的なのが、「本屋へ行く理由が見つからない学生」である西本さんだ。「必要な情報はスマホで足りる」という価値観を持ち、文禄堂閉店も「つぶれたんだ」程度の受け止め方だった。本屋を訪れる動機そのものが日常に存在しない。

 溝口さんは、「読むこと自体が負荷になる学生」である。動画視聴の時間が増えたことで「文章が頭に入りにくい」という実感があり、本を読む習慣が途切れがちだ。しかし、授業で必要な教科書は読むという、必要性に応じた読書が中心になっている。

 立木さんは、「紙の本に信頼を置く学生」でありつつ、時間の不足という壁を抱えるタイプだ。参考書は紙で買うが、課題の多い生活の中で書店へ行く余裕がない。読書への抵抗はないが、本屋との距離は近くない。

 牧原さんは、「紙と電子を目的で使い分けるハイブリッド型」である。学習は紙、漫画は電子というように、用途によって柔軟に本を選ぶが、本屋に行く頻度は限定的だ。

 こうして5人を並べると、次のタイプ分けが可能になる。

  ① 書店派(宮沢さん)
 ② 本屋不要派(西本さん)
 ③ 読む負荷と向き合う派(溝口さん)
 ④ 本は必要だが時間がない派(立木さん)
 ⑤ 紙と電子のハイブリッド派(牧原さん)

 いずれのタイプにも共通するのは、「本は読むが、本屋に行く行為は必須ではない」という構造が見えてくることだ。つまり、「本屋に行く文化」そのものが、学生生活の中心から後退している。この5人の存在は、街の書店文化が直面している現実――「読書の多様化と、本屋との乖離」――を鮮明に示している。

本を読む行為と、本屋に行く行為の乖離

 取材した学生の証言を並べると、現代の早大生にとって、「本を読むこと」と「本屋に行くこと」はもはや同義ではないという構造が鮮明に浮かび上がる。かつては、読みたい本があれば街の書店に向かい、店頭の棚から偶然の出会いを得る学生文化が存在した。

 しかし今、学生の多くは——読むか読まないかに関わらず——日常の移動経路に「本屋に立ち寄る」という行為を組み込んでいない。つまり、学生はそれぞれ理由こそ違っていても、共通して「読む行為は残っていても、本屋に依存する必要は減っている」という傾向を示している。

 この構造は、安藤さんや松葉さんが話した現場感覚とも一致する。

 「学生さんはあまり来なくなって、お客さんは常連さんばかり」
 「教科書は売れるが、参考書や教養書の売上は大きく減っている」
 「オンライン購入が増え、そもそもお店に来ない学生が多い」

 これら書店の現場の生きた言葉は、学生の行動変容を裏付けるものであり、学生の書店に対する感覚は、書店側が直面する状況にも符合する。

 かつての早稲田では、本を探す行為とは街の本屋を訪ね歩く行為だった。しかし現在は、探す行為がスマホの検索に置き換わり、紙の本を買う行為さえオンラインで完結する。書店に足を運ぶ理由は、学生の生活構造の中から徐々に消えていった。

 学生取材の結論はシンプルである。

 「本を読む文化」は多様な形で残っているが、「書店に行く文化」は確実に後退している。

 その乖離こそが、早稲田の書店街が直面している最も大きな変化である。


連載 書店の街はどこへ行くのか~早稲田と本、変わる距離
第1回 書店の街はどこへ行ったのか
第2回 老舗古書店
第3回 大学の書籍基地
第4回 早大生と本(前編) その心に書店は
第5回 早大生と本(後編) 5つの距離感
第6回 VR古書店(前編) 文化推進学生アドバイザー
第7回 VR古書店(後編) 次代に何を残すのか
最終回 書店文化は終わらない