学生は早稲田の書店文化をどう受け止めるのか
学生への取材から見えてきたのは、「本を読む」ことと「本屋に行く」ことがもはや結びつかない現実だった。読むか読まないかにかかわらず、学生の多くは日常の移動経路に書店が入っておらず、必要な本はオンライン購入で済ませる。街の書店街が縮小し、大学内の生協も教科書中心に役割を縮める中で、学生が本と出会う場は確実に細っている。では学生は、この街が育んできた書店文化をどのように受け止め、どのように未来へ残そうとしているのか。その一つの答えが、早稲田大学文化推進学生アドバイザーの取り組みに見えてくる。学生自身が街を歩き、古書店の姿を記録し、可視化しようとした試みである。
文化推進学生アドバイザーとは何か
そもそもこの早稲田大学文化推進アドバイザーとは何なのか。早稲田大学の公式ホームページはこう説明する。
文化推進学生アドバイザーとは?
―新たな早稲田文化の創造、歴史ある早稲田文化の伝承―
「文化推進学生アドバイザー」は早稲田大学文化推進部の学生ボランティア組織です。早稲田大学生の文化ニーズを学生自身が意見集約し、主体的に「早稲田文化」を創造・発信しています。
活動内容はイベントの立ち上げから運営、地域とのコラボ企画、広報、オリジナルグッズの発案など学生自身の目的に応じて様々。大学にあるミュージアム(演劇博物館、會津八一記念博物館、早稲田大学歴史館、早稲田スポーツミュージアム、本庄早稲田の杜ミュージアム、国際文学館)や「キャンパスのミュージアム化(ミュージアムを中心に学内に芸術・美術作品を配置しキャンパス全体をミュージアム化するプロジェクト)」が進む早稲田の魅力を、学生ならではの視点で発信しています。
インタビューに応じてくれたのは政治経済学部4年の杉山香乃さん。杉山さんが文化推進アドバイザーの活動に参加したきっかけは、大学3年生の冬だった。「学生が文化企画を自由に立ち上げ、文化企画課が全力で支援してくれる」という仕組みを知り、「この機会を使わない手はない」と思ったという。それは、単に文化イベントを運営するのではなく、学生が自ら企画し、大学が持つ文化的な資源をどう見せるか、どのように未来へ渡すかを考える場でもあった。
杉山さんは、文化推進学生アドバイザーという枠組みを、「学生が早稲田をもっと好きになるための仕組み」と表現する。早稲田は、学生の活気や自由な気風だけでなく、数多くの作家を輩出し、豊かな文化施設を持つ歴史ある大学だ。しかし、ふだん学生生活の中では、こうした文化的資源に触れる機会は必ずしも多くない。文化推進学生アドバイザーは、こうした早稲田の文化的資源に対して学生自身の手によってアプローチすることで自分たちの世代のものへと再定義し、また次の世代へ橋渡しする役割を担っている。
街の書店文化が衰退し、学生の本との距離が変化する一方で、文化を記録し発信する動きが学生自身の中から生まれたことは、早稲田という地域の文化が持つ底力を示すものである。
空気そのものを伝える
杉山さんは「早稲田古書店街のVR化」という新しい活動にも取り組んだ。杉山さん自身の文化推進学生アドバイザーの活動の中でも、とりわけ特徴的な活動だ。これは、「街から書店が減り続けるなかで、その姿をどのように記録し、学生に開かれたかたちで伝えるか」という、問いに向き合った結果として生まれた企画だった。

杉山さんが古書店をテーマに選んだ背景には、早稲田という街が持つ文学的な土壌がある。多くの作家を輩出し、古書店が軒を連ねてきた早稲田は、「本の街」として長い歴史を持つ。しかし、普段の学生生活で街を歩くうちに、古書店が減少し、学生が立ち寄る姿も少なくなっている現実に直面した。「このまま失われてしまう前に、いまの姿を残したい」という思いが、企画の出発点になったという。
当初は写真や文章による記録も検討されたが、文化推進アドバイザーの活動を支援する文化企画課が360度カメラを保有していたことを知り、VRという手法が一気に現実味を帯びた。「これを使わない手はないと思いました」と杉山さんは振り返る。VRであれば、店内の奥行き、棚の圧迫感、光の入り方、店主の生活感まで「古書店の空気そのもの」を残せる。古書店に入ったことのない学生にとっても、心理的ハードルを下げる入口になると考えた。
古書店街を撮影対象に選んだ理由には、学生側の変化もある。取り組む前のヒアリングで、古書店に対して「入りづらい」「どんな店かわからない」という声が多かったという。VRは、そうした「見えない壁」を取り払う役割を担う。店の扉を開ける前に空間を知ることができれば、街に出るきっかけにもなると期待された。
古書店は単なる商店ではなく、店主の人生や街の記憶が積み重なった場所でもある。撮影の過程で店主から語られる昔の早稲田の風景は、杉山さんにとって「街の時間の厚み」を実感する瞬間だったという。VRは、それらの記憶をまるごと保存する一つの方法でもあった。
フィールドワーク
古書店街VR企画は、単に技術を用いた記録ではなく、街へ出て店主と向き合いながら進めていく「対話のプロセス」そのものでもあった。杉山さんは、まず文化企画課を通じて早稲田古書店連合会長である五十嵐書店の店主とつながり、そこから他の店舗へ一軒ずつ協力を依頼していった。古書店においてオンライン販売が主流になりつつある中でも、対面営業を続ける古書店主たちは、学生の取り組みに理解を示してくれたという。
撮影のため店内に入ると、どの古書店にも独特の空気があった。雑然と積まれた本が形づくる迷路のような通路、古い紙の匂い、差し込む光の弱さ、それらは写真だけでは伝えきれない「場所の厚み」、そして「古書店特有の空気」を纏っていた。
杉山さんにとって、店主から聞いた昔の早稲田の話が特に印象的だった。「僕が小さいころの早稲田はね」と始まる語りには、長く街を見続けてきた人だけが語れる時間の重さがあった。古書店が本を売る場所である以上に、街の歴史を静かに蓄えてきた存在であることを実感したという。
撮影にあたっては、店内の配置や棚の高さ、床の歩きにくさまで忠実に収めることを心がけた。VRは空間全体が映るため、プライバシーへの配慮も欠かせなかった。顔出しを希望しない店では、店主がいつもいる場所にワセダベアのぬいぐるみを置いた。歩行者が映り込まない角度を慎重に探したりもした。こうした一つ一つ調整が必要な撮影は一日で完了するものではない。店主の都合に合わせ何度も足を運びながら実施された。
このプロジェクトを通じて、学生と街のあいだに新しい関係が生まれた。普段の学生生活では意識されにくい古書店が、実は多様な個性を持ち、ひとつの「文化圏」として街に根を下ろしていることを、杉山さん自身が体感する過程でもあった。VR制作は技術の導入という側面だけでなく、街の文化を学生が自ら歩いて確かめ、記録していく「フィールドワークの重さ」を伴っていた。
こうした丁寧な制作プロセスの積み重ねが、のちに学生からも古書店主からも大きな反響を呼ぶVR作品へとつながっていく。
連載 書店の街はどこへ行くのか~早稲田と本、変わる距離
第1回 書店の街はどこへ行ったのか
第2回 老舗古書店
第3回 大学の書籍基地
第4回 早大生と本(前編) その心に書店は
第5回 早大生と本(後編) 5つの距離感
第6回 VR古書店(前編) 文化推進学生アドバイザー
第7回 VR古書店(後編) 次代に何を残すのか
最終回 書店文化は終わらない
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