青空古本祭とVR企画を並べて考えると、問いの輪郭がはっきりとしてくる。早稲田の書店文化は、一本の線上に連続してきた文化ではなかった。街の状況が変われば、文化は姿を変え、それぞれの時代に必要な形で受け継がれてきた。それは、学生の読書行動の変化とも深く響き合っている。
取材した学生の中には、文禄堂閉店に衝撃を受けた者もいれば、本屋に行く理由を見いだせない者もいた。動画文化に慣れ紙の文章が頭に入りにくいと感じる学生もいれば、紙と電子を状況に応じて使い分ける学生もいる。つまり、文化の受け手である学生の価値観そのものが多様化し、その多様性が文化の担われ方を変えているのである。
生協ブックセンターでは、かつては教科書とともに売れていた参考書がほとんど動かなくなり、学生の必要最低限の購買が定着した。街の書店も減り、偶然の出会いが生まれる場は、かつてに比べ明らかに狭くなった。

一方で、VRといったかつては考えられなかった新しい手段でアプローチも確実に存在している
取材を通してこうした現象を積み重ねて見えてきた結論は、
文化とは、ノスタルジックに固定された形を守り続けるものではない。むしろ変化する社会や生活に呼応するように姿を変えて続いていく存在ではないか。
ということだ。
文化はそのまま残るのではなく、変化の中で「どのように見つめられ、どのように記録されるか」によって姿を変えながら存続していく。
文化が変わることを「失われた」と捉えるのか、それとも「新しい形が生まれた」と捉えるのか。その視点の違いが、これからの文化のあり方を決めていく。
文化は社会の変化のなかで自然に姿を変え、その都度新しいかたちを獲得してきた。では、その変化を私たちはどう受け止めるのか。そう自問しながら振り返ると、連載第1回で取材した早稲田が地元であり、変わりゆく街と共に生きてきた堀田さんが語った「本の匂いが漂う早稲田通り」の風景が頭に浮かぶ。その光景を思い浮かべるたび、私はかつての早稲田の街や文化の豊かな時間の厚みに羨望を抱いた。しかし、その風景が今では失われつつあるという事実を、もはや喪失としてだけ受け止めようとは思わない。
取材を通じて明確になったのは、文化とは変わり続けることで生き延びるものだという確信である。
街の書店が減り、学生の生活動線が変わり、読書行動が細り、オンラインが主流になった。これだけを見ると文化は後退しているように映る。しかし一方で、学生がVRで古書店街を記録し、紙と電子を状況に応じて使い分け、街を歩きながら本を探すという行為が早稲田で学び、また早稲田で生きる学生の手で、その生活の実像に合うように再定義されている。

つまり、文化とは「減るか残るか」ではなく、「変化を起点にどんな新しい文化が生まれるか」で捉えるべき存在である。
この視点こそ、前回置いた問いへの答えになりつつある。
青空古本祭が街に文化を広げたように、VRはデジタル空間に新しい入口を拓いた。衰退ではなく、文化の担い手が更新され、表現の方法が変わり、次の形が生まれはじめている。この「新しい文化の芽生え」こそ、早稲田という街がもつ創造性の現れである。
私は、昔の早稲田を懐かしむ声も、本屋に行く理由を見いだせない学生の声も、どちらも文化の一側面だと考えている。異なる価値観が共存し、新たな文化の形成を支えているからだ。文化は一枚岩ではなく、多様な視点と生活の交錯によって形を変えていく。そのダイナミズムこそ、文化が生きている証拠である。
そして私は、こう思う。
文化の衰退を恐れるより、その変化の中から新しい文化をどう生み出すかを考えるべきだ。
文化は守るだけでは残らない。誰かが記録し、形を変え、別の場所で新たに始めることで受け継がれていく。早稲田の書店文化もまた、その連続の中で生きている。
今回の取材を通じ、私は確信した。
早稲田の書店文化は終わっていない。
変わり続ける中で、新しい文化を生み出す力を確かに持っている。その未来をどうつくるかは、過去を懐かしむ人々と、新しい方法で文化に触れる学生とが、ともにこの街で生きているという事実に託されている。文化は形を変えながら残り、その形をどう見つめ、どう記録し、どう次へ渡すかが、未来への継承を決める。
早稲田の文化は、これからも姿を変え続ける。
そしてその新しい姿は、私たち自身がこれからつくっていくのではないだろうか。
(終わり)
連載 書店の街はどこへ行くのか~早稲田と本、変わる距離
第1回 書店の街はどこへ行ったのか
第2回 老舗古書店
第3回 大学の書籍基地
第4回 早大生と本(前編) その心に書店は
第5回 早大生と本(後編) 5つの距離感
第6回 VR古書店(前編) 文化推進学生アドバイザー
第7回 VR古書店(後編) 次代に何を残すのか
最終回 書店文化は終わらない
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