古書店の文化を次世代につなぐ
古書店街VR企画は、学生が街を歩き、店主と対話し、書店の空気を、五感で感じ取るという過程を経て形づくられた。その成果は、単なる記録物という枠を超え、かつての早稲田で当たり前だった「街を歩きながら書店にふらっと入る」という行為そのものを、新たなアプローチで再生するものとなった。
公開した《WASEDA BOOKSTORES VR WORLD -早稲田古書店の風景-》は、14店舗の古書店を360度撮影し、実際の古書店が纏う空気をできる限り体感できるような工夫がなされている。現地で観察した、狭い通路、床まで積み上がった本棚、弱い光の差し込みといった「感覚的な特徴」は、VRの中でもできる限り忠実に再現された。
こうした工夫は、単に空間の形状を残すためではなく、「その場に立ったときの体験」を未来へ渡すための試みだった。早稲田の街では、学生が授業の行き帰りに「馬場歩き」をしながら古書店に立ち寄る風景が長く続いていた。しかし書店の減少とともに、その体験は急速に姿を消しつつある。VRは、その喪失を補い、街の歩行体験そのものを次世代へつなぐ役割を担っている。
公開後、学生や卒業生からは、「古書店を歩いて巡っている感覚が懐かしい」「行ったことがない店の雰囲気を先に知れるのが嬉しい」といった声が寄せられたという。とりわけ、古書店に入ったことのない学生にとって、VRで「まず覗いてみる」ことが実際に街へ足を向けるきっかけにもなった。かつての早稲田で日常的だった「歩く→気になる店にふらっと入る」という流れを、デジタル空間で再現した点に、企画の新しさがあった。

(2025年11月21日17時54分、zoomでの取材にて)松本倖河撮影
古書店主からも、「街の記録として残るのはありがたい」という声が上がった。古書店は本を売る場である以上に、店主の人生や地域の歴史が堆積した場所でもある。その「雰囲気ごと記録できる」点が、VRならではの強みだった。
VR企画に取り組んだ早稲田大学文化推進学生アドバイザーの杉山香乃さんは、制作を振り返り、「古書店は文化そのものだった」と語る。VR制作は技術的な挑戦であると同時に、学生が早稲田の街を歩き、記憶し、伝えようとする姿勢の結晶でもあった。
こうして生まれたVR作品は、早稲田の古書店街が育んできた「歩く文化」「偶然の出会いの文化」を未来へつなぐ新しいアーカイブとなったのである。
かつて「青空古本祭」があった
早稲田の書店文化は、VR企画のように姿を変えながらも、今の学生の手によって記録され、未来へとつながれようとしている。しかし、街ではかつて、現在とはまったく異なるかたちで「本と人が交わる場」をつくろうとした試みがあった。それが、早稲田の古書店街が開いていた「早稲田青空古本祭」である。
この青空古本祭は、店主たちが協力して早稲田大学のキャンパス構内にテントや机を並べ、それぞれの店が持ち寄った古本を屋外で販売した「出張古書店街」だった。文学、思想、人文書、雑誌のバックナンバー、マンガ――出店した店舗によって並ぶ本の種類が異なり、歩いているだけでワゴンに視線を奪われる。その場に居合わせた学生がふらりと足を止め、手にした文庫から思いがけない興味が広がっていく。そんな風景が「青空古本祭」にはあった。

大学構内で開かれることで、古書店に入ったことのない学生にとっても敷居が低く、「店に入る前の入口」として機能していた点が特徴的だ。これは杉山さんがVR企画で目指した「心理的ハードルを取り払う入口」という発想にも通じる。偶然の出会いを生む場を、当時は「大学内に広げる」ことで実現していたのである。
しかし――青空古本祭は現在、4~5年前を最後に姿を消している。明確な公式記録が残っているわけではないが、コロナ禍による複数の要因、周辺の古書店数が急速に減ったこと、店主の高齢化、人手不足、テントを並べる場所の確保が難しくなったことなどが重なったと考えられる。街の文化を支えていた試みは、静かに幕を閉じた。
こうして見ると、青空古本祭は、かつて早稲田に確かに存在していた「本と街が互いに溶け合う文化」の象徴だったと言える。古書店の奥に入らなくても本と出会える空間をつくろうとした点に、早稲田と古書店は一体という気概が宿っていた。
青空古本祭は、文化がより強固だったことで成立する。一方、VR企画は、古書店の文化が希薄化したからこそ必要とされた。両者は、街も、古書店も、学生文化も、状況が異なる時代に、それぞれ「本との出会いを広げる」ための形として現れた。
その意味で、青空古本祭の記憶は、早稲田の書店文化が「なくなる」のではなく、「かたちを変え次世代へと続ける」ことを示しているではないだろうか。
青空古本祭とVR企画が示す文化の形
文化推進学生アドバイザーによるVR企画に対し、私が強く感じたのは「本と出会う場は、時代によって姿を変える」ということである。これは「青空古本祭」とも呼応する。かつて早稲田の街には、書店がまだ学生の生活動線の中に自然に組み込まれていた時代があった。学生は授業帰りに通りを歩き、気になったワゴンに視線を奪われ、思いがけず本と出会う。青空古本祭は、そうした街の文化的厚みがあったからこそ成立した「本が街へ飛び出す」取り組みだった。
しかしその後、古書店の減少、店主の高齢化、コロナ禍の影響などが重なり、この場は静かに消えた。街の文化を物理的に支えられなくなった象徴でもある。
一方で、VR企画は全く逆方向から生まれた。書店が減り、学生が本屋に足を運ばなくなった現代だからこそ、「いま残る古書店の姿を記録する必要がある」と学生たちは考えた。360度映像によって古書店の空気や奥行きを残し、未来へ橋渡ししようとした取り組みだ。かつて「街に広げていた場」を、現代では「デジタルで保存する場」へと転換したと言える。
両者を並べて見ると、次の構図がはっきりする。
• 青空古本祭
=書店文化が街に満ちていた時代の「外へ広げる」試み
• VR古書店街
=書店文化が縮小した時代の「姿を残す/入口をつくる」試み
つまり、取り組みの形は異なっても、どちらも「書店文化と学生の距離を縮めようとする営み」という点は共通している。そしてその変化は、「文化が衰退している」のではなく、時代に応じて姿を変えながら受け継がれていることを示している。
同時に、青空古本祭が消え、VRが必要とされるようになった事実は、早稲田の街の変容を端的に物語る。街を歩けば自然と本屋に出会えた時代は終わり、今や学生はオンラインや大学内で必要最小限の本を手に入れる。そんな中で、本と街の関係をもう一度結び直そうとする動きが、学生自身の手によって生まれた。
青空古本祭という「かつての文化」と、VRという「新しい文化」。その二つの間には、早稲田の書店文化がこれまで歩んできた変化の軌跡が凝縮されている。
そして、この二つを見比べると、次の問いが生まれる。
――文化は、形を変えても残り続けるのか。
――それとも、私たちがそれをどう「見つめ」、どう「記録する」かにかかっているのか。
連載 書店の街はどこへ行くのか~早稲田と本、変わる距離
第1回 書店の街はどこへ行ったのか
第2回 老舗古書店
第3回 大学の書籍基地
第4回 早大生と本(前編) その心に書店は
第5回 早大生と本(後編) 5つの距離感
第6回 VR古書店(前編) 文化推進学生アドバイザー
第7回 VR古書店(後編) 次代に何を残すのか
最終回 書店文化は終わらない
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